2010年5月9日日曜日
ジェフ・クーンズをつぶやく
最近、ジェフ・クーンズについ調べごとをしています。
歴史上だと、ピカソとかウォーホールは誰しもが知ってるアーティスト。僕が勝手に思うに、20年後、クーンズは、ピカソやウォーホールそしてダリのように美術史上重要人物の一人として知られているでしょう。(どうかな?)
正直、ピカソとは比較の対象として合いませんが(クーンズは現代美術だからね)、メディアにおけるカリスマ性は今を生きるアーティストとしてウォーホールに最も近い人物の一人といっても過言じゃないかも。
至上最高額100億円以上の値がついたウォーホールのEight Elvisには及ばないものの(これはもう、アーティストより買い手の希少性による記録だな)、クーンズは年間で同額の金を稼いでる?かと思うと現代のアートはまさに反面ビジネスだなと痛感してやまない。
あ、そうそう写真,な~んだ、おれクーンズの作品みてんじゃん、ってこれは2008年、NYCのメトロポリタン美術館の屋上でのクーンズ展示会にて撮ったもの。 当時の僕はクーンズのこと知らんかったけど、彼の作品のインパクトは大きく残ってました。
う~ん、このバルーンドッグ、ミニアチュールほしいね。ちゃんとキンキラキンのコーティング施されたの。って、あれ、これ完全に芸術評価思考ではなく、視覚的・外観的判断しちゃうよね。
でもそれが、クーンズの意図したアートらしい。確かに「キッチュ」だの「低俗」いわれるけど、実際のところ、万人に芸術の真髄やら哲学やらを理解して観なさいなんて考え自体が芸術の迫害行為となり得るんじゃないかな?見て「あ~きれい」なら、それはそれでいいんじゃない? だから欲しくなるのも芸術評価思考でいいんじゃない?っていってるのかも。
そして一方、そう解釈されたときに現れる 「芸術?ビジネス?」のクエスチョンマーク。“クーンズ”ってアーティスト?それともブランド?それとも企業のCEO?
時代のニーズを供給するのではなく時代のニーズを作り出すのがアーティスト。今までなかったものを送り出すと人々は戸惑い拒絶しやすい。とにかく議論が飛び交う場所には注目が集まるもんだ。良し悪しにかかわらず注目されると重要性も高まる。それを経てその時代にはその時代の評価基準が生まれる。 クーンズは今まさに彼のカリスマでこの社会の扇動をたくみに操っている。
でもいずれ新しいものがまた新しいもので覆われるとき、以前の戸惑いや拒絶は何事もなかったのように矛先を変えられる。そして答えはなく何かと重要性だけ が残る。僕はクーンズのその日まであと20年彼は舵を離さない気がします。
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